2006/08/05 (Sat)
 
足利の 花火大会を みにいった。
今年で103年目 92回目を迎えるという 花火大会。観客は 30万人を超えるのだという。
渡良瀬川の河川敷は たくさんの人で 埋めつくされていた。
ビニールシートや ビニールテープで 場所取りしてあるのに倣って わたしたちも レジャーシートと座布団を敷いた。
本部席に程近い 草の生えた土手に わずかな隙間をみつけて ふたりぶんのスペースを確保した。
”花火大会をみるなら本部席の近く” というのが 妹のおしえなのだった。
はじまる時間まで まだまだ時間があったので 立ちならぶ屋台を 一軒一軒みてあるいた。
川沿いの道には 延々と屋台が連なっていて どこまで連なっているのか どこまでも連なっているようにみえた。
謳い文句が いろいろで おもしろい。どこで買ったら良いものやら 悩んでしまう。
かきごおりひとつ買うのでも 手がきだとか シロップかけ放題だとか ミルクサービスだとか ハイビスカス付きだとか
実にいろいろと お店によって 特色があるのだった。
お気に入りなのではずせないポテトもちと ”はみたこ”という看板が掲げられていたお店のたこやきと
シロップもコンデンスミルクもかけ放題のお店のかきごおりを 買い求めた。
青りんごのシロップと コーラのシロップと コンデンスミルクを ふんだんにかけられたかきごおりは
買ったそばからみるみる溶けて しまいには あたらしいカクテルのようになった。
空が まだほんのりあかるいうちから 花火は あがりはじめた。
えらいひとの挨拶が終わるやいなや 唐突に 音楽とともに あがりはじめた。
提供している会社や団体によって 趣向を凝らした花火があがり 音楽も いろいろに変わるのだった。
会社の100周年をお祝いする花火。社長の死を追悼する花火。
結婚式場の花火は 紅白で おめでたいかんじ。フラワーパークの花火は 藤の花が咲いているみたい。
大学の花火は 校歌に合わせてあがった。観光協会の花火は 八木節に合わせてあがった。
スーパーマーケットの花火のときは 『サザエさん』だった。
♪買い物しようと町まで出かけたら 財布を忘れて … という唄だった。
お財布忘れたら お買い物出来ないじゃないの。スーパーマーケットのひとは どういうつもりで選曲したのだろう。
どこかの会社の花火のときは 忌野清志郎のうたう 『サントワマミー』で なかなかいいかんじだった。
ごく近くでみる花火は 非常に迫力がある。
ずっと見上げ続けていたら だんだん疲れたので だんだん寝そべった。
3Dの こちらに向かってくるようにみえる花火は 寝そべってみていると 降りそそいでくるようだった。
星のかたちに きらきらと 眩く光る花火は はじめてみたようにおもう。
なにかのマークのようにみえたり ちょうちょのかたちだったり パステルカラーだったり
現代的な 色とりどりの花火も それはそれで うつくしかったのだけれども
わたしはやっぱり 昔ながらの 一色の花火のほうが すきなのだった。
淡い色の花火が きらきらひかりながら 滝のように流れて はかなく消えていくさまは ひときわうつくしい。

Fireworks
2006/08/15 (Tue)
 
やわらかい平打ちのパスタは たっぷりのお野菜と 小口に切った浅葱が絡んでいて いささか汁気が多く
パスタというよりも ヌードルのようなかんじだった。
『アジアの味がする』 『屋台っぽい』 などと云い合いながら おいしくいただいた。
あたらしいおいしさに 出会うことの 愉しさ。

千手山公園には 観音さまが祀られている祠と ちいさな遊園地があった。
すぐに一周してしまいそうな ちいさなちいさな観覧車だとか
トンネルや踏切のある なかなかおもしろそうな おとぎ電車だとか。

仲町屋台公園には 無人の 屋台展示収蔵庫があった。
入り口にある まるいボタンを押すと 電気が点いて 祭囃子がながれた。
電気に照らしだされた ガラス張りのしかくい部屋のなかには 彫刻屋台が 鎮座していた。
お祭りにつかわれる 白木造りの屋台には 花やら鳥やら龍やら 豪華絢爛な彫刻が施されていた。

そののち車は おとなりの県の おおきなショッピングセンターを目指して 南へ南へと向かった。
とちゅう 田沼の道の駅で ひとやすみ。
330えんのジェラートは コーンのうえに ふたつの味を のせてもらえる。
だいすきな ごまのジェラートと はじめてみた わさびのジェラートを のせてもらった。
わさびのジェラートは ひとくち目は わさびの味がしないのだったが
5口くらいつづけて食べると 口のなかが ほわんと わさびの味になるのだった。
あたらしいおいしさに 出会うことの 愉しさ。

Caution
2006/08/16 (Wed)
 
県立博物館に でかけた。
常設展示の 日光の山に住んでいる動物たちの剥製や 虫たちの標本をみたあと
『人と虫 ともに生きる小さな隣人』 という 企画展。
予想していたことだったが 虫の標本が たんとあった。
予想だにしていなかったことだったが ゴキブリの標本まであった。
標本箱のなかに おぞましい黒い虫が 幾種類も整然と並んで ピンで留められていた。
束の間悲鳴をあげたものの じっと動かないゴキブリは物珍しくて しげしげと観察した。
虫をつかった料理を紹介するコーナーも 悲鳴を上げずにはいられなかった。
虫料理の見本が 数種類 展示されていたのだった。
イナゴは いちどだけ食べたことがある ―味はどんなんだったか忘れたけれど 小学生のとき 校外学習でイナゴ獲りをして 家に持って帰って佃煮にして食べたのだった― ので わりあい平常心で眺めることができたのだったが
芋虫のようなもの ―名前さえおぼえることができなかった・・・ざざむしだったろうか― あれは無理。美味しいのか。

世界じゅうの蝶々をあつめた標本箱をみていたら ひとつ欲しくなった。
ニホンミツバチとセイヨウミツバチの 微妙な見分け方を知った。
ハシブトガラスとハシボソガラスは わかりやすい違いがあった。

10数年ぶりに訪れた博物館は 大いに見応えがあって
閉館の音楽が鳴り響くまで たっぷりと堪能した。
2006/08/17 (Thu)
 
山歩きでもしようかと 矢板まで でかけた。
車は 山をめざして 曲がりくねった道を すすんでいたのだったが 途中で雨が降りだした。
おおきな森 ながれる渓谷 展望台やキャンプ場やバーベキュー場のある 広大な施設。
かたすみの 駐車場に辿りついたときには いよいよ本降りになった。
フロントガラスに降りそそぐ おおきな雨粒。車のなかに 閉じこめられてしまったような気分。
どしゃどしゃ降っている雨のなか 傘を差して 探検した。
駐車場のすぐ側 樹々のあいだをはいっていくと 宮川渓谷歩道というなまえの 道があった。
せせらぎに耳を澄ませながら しばし散策。
森林展示館という施設があったので 雨宿りがてら しばし見学。
矢板の山に住んでいる動物たちの剥製や 森で採った木でつくったおもちゃなどが展示されていた。
宇都宮からまいにち通っているという 解説員のおじさんが
動物の説明をしてくれたり おもちゃのあそび方をおしえてくれるのだった。
ボタンを押すと動物や鳥の鳴き声がきこえる展示や 箱のなかに手を入れて何が入っているのか考える展示もあった。
おそるおそる手を入れてみたら いくつもある箱のなかには 森で採れるのであろう木の実が あれこれ入っていた。
雨は 一向に止む気配が無い。
本格的なハイキングができるコースもあるのだったが 遭難しそうな雨なので 山歩きは あきらめることにした。
もういちど 宮川渓谷歩道にいって 滝を ひとつ みた。
歩道のあたりは 蒸し蒸しと暑いのだったが 滝のほうに下りていくと 空気がまるで変わって ひんやりと涼しい。
水が落ちる音。つめたい川の水。鬱蒼とした緑。降りつづく雨。
マイナスイオンを たくさん浴びた。

車一台ぶんの幅の くねくねした山道をとおって 車は 山を下っていった。
あちら側から車がやってこないか ひやひやしたのだったが 細い道をすっかり抜けるまで 向かってくる車は無かった。
すこしふとい道に出て (ふといと云っても片側一車線なのだった) ちょっと行ったところに おおきなダムがあった。
駐車場に車を停めて ダムを見学。
寺山ダムという名前のダムは 提頂部に通路があって 向こう岸まで歩けるようになっている。
通路のまんなかあたりまで歩いて行って たっぷりと貯えられた水を眺めたり 麓まで続く深い緑を見下ろしたりした。

車は さらに山を下っていった。
市街地に入ったころには ぱったり雨は止んだ。
お気に入りの温泉に辿りついて のんびりした午後を過ごした。
石を組んでつくられた ひろい露天風呂には ふんだんにお湯が流れ続けていた。
岩を伝って流れ落ちるお湯の 心地よい水音。

このほしは 水の星。豊かな 水の星。

WaterfallTerayama Dam
2006/08/18 (Fri)
 
県立美術館 『柄澤 齊展 −宙空の輪舞(ロンド)』 という展覧会。
受付に 虫めがねがたくさん用意されていて 貸し出されていた。
とてもこまかい作品なので 観賞にご利用ください というような 注意書き付きだった。
めんどうだったので 虫めがねは借りずに 展示室に入った。

さいしょのコーナーには 木口木版画の作品が ならんでいた。
堅い木に 鋭い刃物で たいへんこまかい線を彫る技法なのだった。
なるほど 虫めがねが必要だとおもわれる こまかさだった。
作品に 近づける限り近づいて じろじろみた。
つぎは コラージュとモノタイプのコーナー。
独自の手法で よくつくられていた。
つづいて オブジェのコーナー。
歯車や貝殻や石ころや紙切れが 木の箱のなかに 物語を持って収められている。
たいへんこまかい作品が つづいた。独特の 世界観。作品のなかにみる 宇宙。
それから 墨による作品のコーナーと 素描のコーナーが あった。
墨による作品は うってかわってダイナミックだった。
器のようなかたちの おおきな和紙のパネルのうえで 墨と水がたたかっていた。
素描のなかには たいへん気になる作品があった。
ほんものの蝶々の羽根の燐粉を 特別な方法で そっくりそのまま紙の上に転写してあった。
模様もあざやかに紙の上に移しとった 蝶々の羽根のまんなかに
蝶々のからだの代わりに 人間が描かれている という作品。
新種の蝶々のようであり あたらしい人間のようであり 妖精さんのようであった。
さいごのコーナーには 本の表紙や 新聞連載の挿絵が 展示されていた。
かたすみでは ビデオがまわっていて 制作過程が映しだされていたので 椅子に腰掛けて観た。

ひとりの作家さんの さまざまな種類の作品が展示されている展覧会だった。
じぶんだけの方法を編み出しているところが興味深く じぶんの世界を持っているひとだなあとおもった。
こまかい作業に畏れ入り あらゆる分野において発揮される才能に感服した。
作品をつくりだす方法はいろいろでも つたえたい世界はひとつなんだという気がした。
2006/08/19 (Sat)
 
夏まつりがおわり 夏もおわりだという 心づもりになる。
帰り道は しみじみとした足取り。提灯が 揺れている。

FireworksTower
2006/08/30 (Wed)
 
まりもは 動物なのだと 勘違いして 生きていた。
あの緑のふわふわした内側には ちいさな心臓があるのだとばかり おもっていた。
まりもを貰ったので まりもについて調べていたのだったが
みどりいろの藻が くるくる丸まっている 植物なのだということが わかった。
密閉された容器に入っているもの 色のついた液体とともに入っているものは
まりもの模造品なのだということも わかった。
貰ったまりもは にせものだった。