2002/09/02 (Mon)
 
妹が 『彼と別れた』 と 打ち明けてくれた。突然のことで びっくりした。
とてもいいかんじに 仲良くお付き合いしていたので
つい最近 『そろそろ結婚しないの?』 と 訊いてみたばかりだった。
妹は 『お金がないから結婚しない』 と 答えた。
公務員をしている妹は 歳のわりにお金持ちで 『お金がない』のは 妹の彼だ。
『お金のモンダイなの? 愛があればいいじゃん』 と 云ったら
『一年に一度は海外旅行をしたいしなあ』 なんて 贅沢なことを云っていた。

いったいどんな経緯で 別れることになったのか 妹は語ろうとしないし
わたしも ふかく詮索しない。

そういえば 妹は このごろすこしヘンだった。

ニュービートルを何処かで擦ってきてしまって 修理代が驚くような金額らしい。
車が 凹んでいた。妹も 凹んでいた。

ひどい落ち込みようだったのは どうやら 車のことだけが原因では無かったようす。
2002/09/03 (Tue)
 
眠れないことは わかっているのだけれど とりあえず 躰を横たえる。
躰はくたくたに疲れきっているのに 意識はやけにはっきりしている。
疲れているのに眠れない という状態が とてもつらい。
缶ビールは さっぱり酔えない。
眠れない時間を 持て余す。
読みかけの小説を パラパラと捲る。
いま読んでいるのは 江國香織の 『東京タワー』。
大学生の男の子が 人妻と 恋におちるはなし。

”恋はするものじゃなく、おちるものだ。”
2002/09/04 (Wed)
 
どういうわけか とんでもなく 暑いのだけれど 梨は 瑞々しくて 美味しいのだった。
夜には 雷雨になって 2回停電しかけたけれど 梨は しゃりしゃりして 美味しいのだった。
ひどく疲れていて 脚も痛むけれど 梨は すごく すごく 美味しいのだった。
2002/09/05 (Thu)
 
ブックオフには 『寄生獣』が 2・4・6・8・9巻しか無くて
ちょっと立ち読みしてみたけれど 話が飛び飛びでわからなかったうえ
続きが とても 気になってしまった。
腕が! 腕が無くなっちゃったよ! え〜!
ここで まっとうな社会人だったら 本屋へ直行して
全巻大人買いすれば良いわけだけれど わたしには とてもそんなことは できないのだった。

レンタルビデオ屋の レジの男の子は 綺麗な青い色の髪の毛だった。
瞳がやけに大きくて それが 顔全体の印象を 『可愛らしい』というものにしている と 思った。
背が低いところも とても 可愛らしかった。

ずっと欲しかったCDを 貧乏ゆえ買いそびれていたCDを やっと手に入れることができた。
2002/09/08 (Sun)
 
最近 読んでおもしろかった本は 銀色夏生 『ひょうたんから空』。
『ミタカくんと私』 の 続編だった。
『ミタカくんと私』 を 読んだのは ずいぶん前だけれど
とても ほのぼのとした あったかいお話だったことは 憶えていて
『ひょうたんから空』 も ほんわか のんびり あったかいお話だった。

2冊 続けて読んだら もっと おもしろいのかもしれない。
本は たいてい 図書館で借りてしまうので そういうことは なかなか できない。

中山可穂 というひとの文章は とても 読み易くて 好みだった。
『白い薔薇の淵まで』 を 読んだ。
恋に落ちるのは 女と女だった。深くて 痛々しくて 壮絶な 恋愛小説。
つぎは 『感情教育』 を 読もうと思うのだけれど 今度は 女が女と不倫をするはなし。
この作家さんは 女性同士の恋愛を描くのがすきなのだなあ ということが わかった。

妹に借りた雑誌も 読んだ。
およそわたしよりも10歳くらい若いひとをターゲットにしているのであろうその雑誌を
わたしはなぜだか愛読していて そして存外ためになるのだった。
2002/09/09 (Mon)
 
途切れがちの 睡眠。
夢を みた。

東京の まんなかあたりに いた。
なんとなく 日比谷だか 霞ヶ関だか そのあたりだ と 思う。
兎にも角にも 駅にいて 路線図を みていた。
日比谷線だったか 千代田線だったか 地下鉄だったことは 憶えている。
『家に帰りたい 家に帰りたい』 と つよく願っていて
『とりあえず 北千住まで 帰らなくては』 と 焦っていて
いそいで電車に乗り込んで 走っている電車の中でも 慌てていて
電車の中で走り出したくなるような そんな 気分で。
わりと込み合った車内で 人込みをかき分けるようにして
泣き出しそうな気持ちで 電車の一両目まで 歩いていこうと していた。
歩いたところで 電車の進む スピードは 変わらないのに。
電車はすごいスピードで はしっていたから わたしは 慌てなくても大丈夫だったんじゃないか。

夢を みて 疲れた。
やっと眠れたのに とても 疲れた。
2002/09/10 (Tue)
 
働いているとき ふと おままごと というか お店やさんごっこ を しているような気持ちに 陥るときがある。
レジをやっているときだとか 愛想笑いをうかべているときだとか
『ありがとうございました』 と 云っているときなんかに。
おしごとをしているというよりも あそんでいるみたいな気持ちに なる。
実際 あそんでいるのかもしれない。このごろ おしごとは たのしい。
2002/09/11 (Wed)
 
いいかげんに 眠ろうと思ったけれど やっぱり また 朝。
おしごとの時間まで すこしだけ眠ろうとしたのだけれど ちっとも眠れない。
熱いシャワーをあびて すっかり目を覚ましてみる。
犬の散歩にでかけた そとは つよい日差しで すこし くらくらした。
轟音に 水色のそらを見上げたら 低空飛行の セスナ機。

平和な そら。ここは とても 平和。
世界のどこかのかなしみや 一年前の出来事など まるで関係ないみたいに。

おしごとが終わって 夕方 ぐっすりと 眠った。
きっかり 3時間で 機械仕掛けみたいに 目が醒めた。

スピッツの あたらしいアルバムを 聴いた。
いろんな色の 曲が あつまっていた。
『エスカルゴ』 が とくに よかったのだけれど
『夜を駆ける』 も 『ババロア』 も 『ハネモノ』 も 
『海を見に行こう』 も  『ガーベラ』 も よかったのだった。
2002/09/12 (Thu)
 
ブルーベリーの果実が 口の中で プチリと潰れて 甘酸っぱさがひろがるかんじが すき。
ヨーグルトは だいすき。
けれど ブルーベリーヨ―グルトは すきなものふたつの 夢の取り合わせなのに
なぜだか あんまり おいしく思えない。

家の外に出る気持ちに なれない日。
電車に乗るのは 億劫だったし 自転車に乗るには 足が痛すぎた。

夕方 すこし うとうとした。

目が醒めたら 部屋にいるはずの しろい犬が 見当たらない。
名前を呼びながら 隣の部屋もみたけれど 居なくて
階下に降りていって さがしたけれど みつからない。
大きな声で 名前を呼びつづけてみたら 階段のいちばん上で おすわりして こっちをみている。
何処に 隠れていたんだろう。
階段を駆け上がって 再会のキスをする。
また会えて とても 嬉しかった。
ぎゅっと 抱き締めたら あたたかくて ほっとした。

夜の8時ごろ。
わたしは たいせつなことを うっかり 忘れていたことに 気が付く。
犬に ごはんをあげていなかった。
きっと 朝から お腹を空かせていたのだろう。
行方をくらませたくなるのも わかる気がした。
2002/09/13 (Fri)
 
道を尋ねられる ということが しばしば ある。
しかしながら わたしは ひどく 説明が 下手なのだった。
しどろもどろになりながら 道順を教える。
頭の片隅で 果たしてこのひとは無事に目的地に辿りつけるんだろうか と 心配してしまう。

ずっと読みたかった 石田衣良の 『スローグッドバイ』を 読み始めた。
短編集なので ひとつひとつ ゆっくりゆっくり 読み進めている。
小説を読むときに あとがきから読む というひとが 世の中にどのくらい存在するか知らないけれど
わたしは たいてい あとがきから読む。
この本に限っては 断然 あとがきから読んだほうが おもしろい。
この本を楽しむために 『作者が勝手に想定した条件』 というのが 載っているから。
2002/09/16 (Mon)
 
わたしは 部屋で ビデオを 観ている。
録画しておいた 『くるりライブ』を みている。
つめたく冷やされた エクレアを 食べている。
あたたかく 牛乳たっぷりの カフェオレを 啜っている。

欲しいCDを 買い忘れていることには 気が付いているのだけれど
行きつけのCDショップは 電車に乗らないと行かれない。
遠いし 雨は 降っているし
なんだか めんどうで まだ 買いに行っていない。

遠い というのは きっと 言い訳。
雨のせい というのは きっと 言い訳。
2002/09/18 (Wed)
 
明け方 霧がでていた。急激に 上がっていく気温。
太陽が すっかり昇ったころ 犬を連れて 芝生のある公園へ。
長袖だったのは 失敗だった。とても暑い。
蝉の鳴く声が 響いていた。
木陰で 足元をみると みどりいろのどんぐりが たくさん落ちていて 踏んであるいたら くしゃりくしゃりと 潰れた。
銀杏の樹のしたの ベンチで ひとやすみ。黄色の 銀杏の実が 3つぶ。
帰り道には 栗の樹がたくさんある横を通って 地面にころがる いがいがを たくさん みた。

うちに帰って 半袖に着替えて 買い物に 出掛けたのは 12時ごろのこと。
電車の中は クーラーが 効いていた。
CDショップにいって ほしかったCDを買ったり いろいろ試聴したり した。
それから スニーカーをみたり 安いメガネをみたり していたんだけれど
どうにもふらふらして 座り込みたいような気持ちになってしまったので
まだ2時だったけれど また電車に乗って うちに 帰ってきた。
あおい そらに しろい くも。絵に描いたみたいな(マグリットみたいな)。
2002/09/19 (Thu)
 
夕暮れの オレンジのそらに コウモリが飛んでいるのを みつけた。
コウモリは 一匹ではなくて 何匹も 何匹も いた。
コウモリを数える単位は ”匹” で 良いんだろうか。”羽” だろうか。
ちいさな羽を せわしなく動かして いそがしそうに 飛んでいるのだった。

のんびり 自転車を漕いで うちに帰りついた頃には すっかり陽が沈んで 暗くなっていた。
誰も居ない 家。階段をあがっていくと 部屋にいる犬が やかましく吠える。
洗濯物が 干しっぱなしだったので 取り込んで それから チャーハンを つくった。
冷蔵庫からとりだした 海老は とてもきれいなブルーだったのだけれど
フライパンにいれると どんどん オレンジに変わって おもしろかった。
キムチを たっぷり入れすぎて ちょっと 辛かった。
2002/09/22 (Sun)
 
『誰にも何も期待しない。それだけが幼い那智の身につけた処世術のすべてだった。那智は野良猫によく似ていた。与えられるえさは黙って食べるが、人間を信用しているわけではない。抱かれたり撫でられたりすることに慣れていないから爪を立てる。えさをくれそうな人間と、石をぶつけそうな人間を瞬時に見分ける眼力をもっている。どんなにおなかが空いていても決して人間に媚びない。自分に降りかかってくるいかなる運命も受け入れる用意がある。生まれてから死ぬまでひとりであることを、本能的に知っている。傷は自分で舐めて癒す。そして、目だけがこわいほど澄んでいる。』

中山可穂 『感情教育』 (講談社) P.21
2002/09/24 (Tue)
 
妹のニュービートルが いよいよ入院の運びとなり かわりの車が やってきた。
目が醒めるような あざやかなグリーンの ポロ。
いつもと違う右ハンドルで 普段よりもあきらかにせまい車だったので
通勤で いちにちに100キロも運転している妹は 疲れきっていた。

わたしはといえば あいかわらずの くだらない毎日で
近所を散歩して 赤とんぼが とんでいることに 気付いたりした。
とんぼは すばやく飛び回っているようでいて わたしに捕らえられるほどに 愚鈍だった。
2002/09/25 (Wed)
 
人間が 息を引き取る瞬間 というものを 看取ったことが無いなあ
ということに 気が付いて
そうして それを みてみたい と 考えていた。

自分が 死ぬ瞬間に いったい どんな気持ちになるのか
どのくらいの 苦しみや 痛みや つらさが 伴うのか
想像してみることが たびたび ある。

どこで?
どんなふうに?
どんなきもちで?

というような くだらないことを 今日は 一日中 考えていたけれど
べつに 死んでしまいたい というわけでも 無かった。
ただ もう 思い残すことも 無いような気がして
死が いつ訪れても良いなあ という 心境になったり した。

いつ死んでも良いような心構えで 生きていこうと考えているうちに
いま わたしはほんとうに生きているのかしら? という 心細さに 陥った。

よくある 憂鬱。
ありがちな。
2002/09/26 (Thu)
 
ペットボトルの飲み物を持ち込んで ひるまのあかるいお風呂場に 篭った。
銀色の ステンレスの浴槽に ずいぶん ながいこと 浸かっていた。
ピンク色の タイル。しろい 湯気と きえる 泡。しわしわになった 指先。
あたたかいお湯のなかで 水に棲むイキモノの気分。
生まれ変わる ということが もしも あるなら
わたしは 海にすむ サカナになろう。
深い 深い 海の底に ひとりぼっちで游ぐ サカナになろう。

息が 苦しい。
お風呂からあがって 疲れきった躰を 横たえた。
呼吸をすることが つらい。
肩で息をしてるみたいなかんじ。
ためいきばかり。
目を閉じたら 躰のうえを 心地良い風が撫でていくのを感じて すこし 幸福だった。

それから。
また お風呂場へ。
こんどは 3匹の犬を きれいに 洗った。
犬を洗うのは とても ひさしぶりのような気がした。
洗い終わった びしょぬれの犬たちは 抱っこしてベランダに連れて行って 乾かす。
乾くのを待つあいだ ひまだったので 写真を 撮った。
電線には 番いと思われる 鳩が 戯れていた。
生まれ変わる ということが もしも あるなら
鳥になるのも 良いなあ。
そらを飛んで 遠くまで飛んで
そして 会いたいひとに 会おう。

現実には わたしは サカナにもなれず 鳥にもなれないので
そんなに孤独でもないかわりに 会いたいひとに会うことも ないのだった。
2002/09/27 (Fri)
 
グラタン。
秋茄子。
秋刀魚。
おでん。

さいきん 美味しい と 思ったもの。

おでんで いちばん 好きな具は たまご。
たまご おいしい。

太った と 感じるのは どうやら 気のせいでは ないようなので
夜中に ポテトチップスを食べたりするのは やめよう と おもう。
ポテトチップスは なんといっても 湖池屋の のりしお。

チョコレートが 美味しい季節が やってきて
スーパーに行ったら 気になる新商品がずらり で こまった。
チョコレート だいすき。

(そして ふとる)
2002/09/28 (Sat)
 
部屋の 模様替えをした。
家具を動かしている時 腰に 激痛が走った。
そんなに重くない キャスターのついた3段ワゴンを 持ち上げた瞬間のことだった。
動けなくなった。
これって もしかして ぎっくり腰 というやつだろうか。
いま 湿布を しているけれど ひどく痛む。
2002/09/29 (Sun)
 
応急処置を 間違ったようだ。
ぎっくり腰をおこしたら 先ず つめたいシャワー等で たっぷりと冷やすのが 良いらしい。
部屋の模様替えで 埃っぽくなっていたわたしは お風呂に入って 湯船に浸かって 温めてしまった。

朝が来たけれど 起き上がれなくなっていた。
寝返りさえも うてない。
激しい痛みで 微動だに出来ないのだった。
おしごとを休みたい旨を 伝えたら 『座ってるだけでいいからレジをやれ』 という 鬼のようなことを 云われた。
座っていることも侭ならないので きっぱりとお断りして じっと 寝たきりで いた。

妹が 何処からか ぎっくり腰について載っている ふるい雑誌を みつけてきてくれた。
それによると 痛いほうを上にして横になり 背中を丸めて 膝をうしろに曲げて
えびのような格好を保つのが良いらしいので その通りにした。
そうして横になったまま 妹がつくってくれたおにぎりをたべるのは なんとも 難しかった。
午後になると すこし 動けるようになった。
祖父母と暮らしていたときの名残で トイレの中に手摺があって それは ずいぶん 役に立った。
雑誌には 運動不足のひとがなりやすい とか 予防のためウォーキングなどで体を鍛えましょう とか
腹筋を鍛えましょう とか 書いてあった。
そういえば だらけた生活をしていて 運動など ちっとも していないなあ。
コルセットや ゴムベルトなどで 腰を 支えるのが良いらしいのだけれど
うちには そんなものが無かったので 代わりに 腹巻をした。
腹巻といっても ラクダなんかじゃなくて ピンクの花柄のおしゃれ腹巻。
腹巻そのものが ちっともおしゃれじゃない というのは 禁句。
というか ぎっくり腰になる という時点で なんだか ものすごく かっこわるい。
2002/09/30 (Mon)
 
ぎっくり腰 3日目。

ずいぶん痛みが和らいだが まだ 前に屈む姿勢には なれなかった。
顔を洗う時は 洗面台の前で ひざまずいて 洗った。
靴下を履くのは とてもながい時間と 労力が要った。
ちょっと動くたびに 鋭い痛みがあり 動かなくても 鈍い痛みがあるのだけれど
血行が悪くならないように すこしずつ 動かしたほうが 良いらしい。
立っている姿勢から しゃがんだり しゃがんでいる姿勢から 立ったり
動作の切り替えが難しくて なんども 練習をした。
膝を うまく使うと うまくいくことが わかった。

おしごと。
『座ってるだけでいい』 なんて 嘘だった。
普通に はたらいた。
いつもよりも暇だったので 助かった。
ゆっくり のんびり 動くように 心がけた。

痛い腰を庇って 普段とはちがう体の動かし方をしているみたいで
今度は 太腿の筋肉までも 痛くなりはじめた。

痛みが弱まってきたら 温めても 冷やしても 良いらしい。
あったかいお風呂に ゆっくり入ったら とても 楽になった。
椅子に座るのが ぜんぜん 辛くなくなった。よかった。